文政7年(1824)~明治16年(1883)
江戸に生れる。美濃高須藩主松平義建の二男。初名は義恕。字、君恪。号は初め、盛斎、後、月堂。嘉永2年(1849)、尾張藩十四代藩主になる。反井伊の尊皇攘夷派で、安政の大獄で隠居謹慎となり、異母弟の茂徳に藩主の座を譲るが、井伊暗殺後、復権し、子の義宣を十六代藩主に据えて藩政の実権を握った。藩内佐幕派を一掃(青松葉事件)し、倒幕の一端を担う。明治3年名古屋藩知事。
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