| 作家名 | C-021 正岡子規 |
| 作品名 | 香取秀真宛自筆書翰 |
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| 作品詳細 | 掛け軸 紙本 合箱 |
| 本紙寸法33x23.7p(書翰部分) | |
| 全体寸法67.1x121.3p | |
| 作家略歴 | 慶応3年(1867)〜 明治35年(1902) 伊予国温泉郡藤原新町(現松山市花園町)に生まれる。本名常規(つねのり)、幼名処之介、後に升(のぼる)。明治5年、父正岡常尚死去。明治8年、勝山学校に入学し秋山真之と出会う。明治13年、松山中学に入学。明治16年、松山中学を中退して上京。翌年、大学予備門に合格。夏目漱石と出会い、交友が深まる。明治22年5月に喀血。明治23年、東京帝国大学文科大学哲学科入学。明治25年同学退学。 陸羯南の主宰する新聞「日本」に入社。明治27年、根岸の子規庵に転居。その後新しく創刊した「小日本」の編集責任者となる。明治28年、日清戦争従軍。帰路、大喀血。神戸、須磨で療養した後、郷里の松山におもむく。激しい腰痛(のちに腰椎カリエスと判明)にも悩まされるようになり寝たきりの生活がつづく。明治31年、「歌詠みに与ふる書」を「日本」に連載。闘病生活のなかで旺盛な文学活動を展開し、膨大な量の定門、談林以後の古俳諧を季題別に一つ一つ分類する『俳句分類』によって、盲目的な芭蕉崇拝を否定し、「写生」の手法の重要性を主張。芭蕉以後停滞していた俳句文学の革新を果たす。 明治35年、36歳で死去。著書に『獺祭書屋俳話』『俳諧大要』『俳人蕪村』『歌よみに与ふる書』『歌集竹の里歌』『墨汁一滴』『仰臥漫録』『病牀六尺』等。 |
| コンディション他 | 子規全集(講談社)所載の正岡子規直筆書翰。大変貴重な文学資料です。 書翰、封筒とも多少のシミとヨゴレがあります。掛け軸に仕立ててありますが、鑑賞するには台紙の部分の折れがひどく修理または額装にしたほうが良いと思います。 |