享和元年七月十一日卒七十九歳洛東白川於葬見性寺詠歌〇〇〇〇寛政十三年正月中頃也
あみ引のやまのさくらはさきぬやとかきねのわらひをりこそ見る
見てそろけさのし〇〇え川かみのし舟はくたすそへて雪くも
めぐりあふ秋のなかばのそらのつき照満ひかりいつにくらべむ


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作家名 C-024 小沢蘆庵
作品名 雪月花(三幅対)
価格
作品詳細 掛け軸 紙本水墨 勝山琢眼箱  
本紙寸法26.6x76.2p
全体寸法33.2x150p
作家略歴 享保8年(1723)〜享和元年(1801)
尾張犬山竹腰家家臣小沢喜八郎実郡の末子として大阪に生まれる。名は玄仲、通称帯刀。号、観荷堂。図南亭。十代の頃、尾張藩京都留守居番本荘家の養子となるが、のち小沢家に復す。三十歳の頃、冷泉為村に入門し和歌を学ぶ。伴蒿蹊、澄月、慈延と共に冷泉門下の平安四天王と呼ばれるが、常上派の流風にあきたらず,真淵らの擬古派をも排して、為村に破門される。歌論「ふるの中道」で「ただごと歌」を主張、当世の平語を用いて自然な感情をあるがままに表出することを説いた。その歌論、歌風は香川景樹、大田垣蓮月ら多くの歌人に強い影響を与えた。歌論「ちりひぢ」「振分髪」、歌集「六帖詠草」、研究書「歌合部類」「類題六帖」「難蔵山集」「古今六義諸説」など。

勝山琢眼
永享3年(1746)〜文政7年(1824)
京の人。父、琢舟に学ぶ。琢舟は、始め狩野派に学ぶが、後土佐派の門に入る。父の後を受け、春日繪所となる。
コンディション他 表具虫食、本紙折れありますが、うぶなりで良い掛け物です。琢眼の箱に「享和元年七月十一日卒七十九歳洛東白川於葬見性寺‥」とあり、現在の資料と一致します。蘆庵研究者には興味深い掛け軸ではないでしょうか。
小沢蘆庵  雪月花