徳川慶勝賛 稲葉正邦画
菊図
  

作家名 D-044 徳川慶勝 稲葉正邦
作品名 菊図
価格 130.000円
作品詳細 掛け軸 紙本水墨 合箱  
本紙寸法31x135p
全体寸法44.6x196p
作家略歴
徳川慶勝 
文政7年(1824)〜明治16年(1883)

江戸に生れる。美濃高須藩主松平義建の二男。初名は義恕。字、君恪。号は初め、盛斎、後、月堂。嘉永2年(1849)、尾張藩十四代藩主になる。反井伊の尊皇攘夷派で、安政の大獄で隠居謹慎となり、異母弟の茂徳に藩主の座を譲るが、井伊暗殺後、復権し、子の義宣を十六代藩主に据えて藩政の実権を握った。藩内佐幕派を一掃(青松葉事件)し、倒幕の一端を担う。明治3年名古屋藩知事。

稲葉正邦
天保5年(1834)〜明治31年(1898)
陸奥二本松藩主丹羽長富の次男として生れる。のち山城淀藩主稲葉正諠の養子となり、嘉永元年、正諠の死去により、十五歳で藩主となる。文久3年、京都所司代に就任。京都守護職松平容保とともに尊王討幕の過激派をおさえる。同年の孝明天皇の攘夷祈願のため大和行幸を中止させ、尊攘派公家の参内停止と長州藩の禁門警備役解職した八月十八日の政変を実行、尊攘派公卿を朝廷より駆逐した。翌文久4年、老中に就任して第一次長州征伐に出陣。慶応元年に一旦老中を辞するが、翌年復帰し、国内事務総裁を兼任。江戸城明渡しまで幕府重臣としてその責務につく。明治2年、版籍奉還により淀藩知事となり、廃藩置県によりその座を退く。

コンディション他
同じように、滅び行く権力中枢にいながら、維新の動乱を生き抜いた尾張藩主徳川慶勝と幕府老中稲葉正邦の出会い。

コンディション、ウブなり良好。

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