D-522 後醍醐天皇
Emperor Go-Daigo

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作家名
D-522 後醍醐天皇ごだいごてんのう
作品名
宸翰
価格
御買上げ頂きました
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 金襴緞子裂 象牙軸 合箱
  南紀徳川家旧蔵 続呉文炳蒐集手蹟目録所収 本紙寸法44.2×28.5
全体寸法(胴幅)53.3×110.5㎝
作家略歴

後醍醐天皇
正応元年(1288)~延元4年(1339)

第96代天皇。後宇多天皇の第2皇子。母は藤原忠子(談天門院)。名は尊治(たかはる)。文保2年(1318)、花園天皇の譲位をうけて即位。吉田定房、北畠親房、万里小路宣房、日野資朝、日野俊基らを登用し親政を行なう。正中の変(1324)、元弘の変(1331)と二度倒幕を企てるが失敗、隠岐に流さる。正慶2年(1333)、楠木正成、足利尊氏、新田義貞らの勢力により鎌倉幕府が滅び建武新政府を樹立。延元元年(1336年)、足利尊氏の反乱により吉野に逃れる。延元2年(1337)、尊氏に対立し南朝を開く。延元4年(1339)、義良親王(後村上天皇)に譲位。

コンディション他

後醍醐天皇宸翰
後醍醐天皇假名書の御消息は南紀徳川家舊藏で、その軸額部類第五號に入れられてあつたものである。消息文の内容は大體花園天皇あての御禮状を認められたものであるといはれてゐる。
この御消息は恐らく後醍醐天皇の御宸翰と考へられるが、現代の學問的方法によつてこれを天皇の宸筆と確認するまでの資料がない以上間違ないと斷定することは勿論現状では至難のことゝ云はねばなるまい。たゞしかし消息文のかゝれてある料紙の紙質の時代や筆蹟の調子など、いづれも南北朝時代の特異性を持つ代表的なものである。とりわけこの假名書のちらしがきでこれだけにのび(のび)とした、しかも氣魄のこもつた書風は後醍醐天皇の御筆蹟と考へて差支へないと思ふ。所謂宸翰様とよぶ天皇の御書風の典型的なものとさへ感ぜられるものである。消息の内容は左に記すやうなものであるが、備考として文中「身」づからは主上のほか用ひない文句であるといふことである。
京都大學名譽教授中村直勝博士の讀解は次の通りである。
昨日色々の物給り返す(返す)遊はい入てめてたくてこそ存じ候なを(なを)おほしめしより候ぬる御心さしことに(ことに)めでたくうれしく思いまいらせ候よろずは身つから申へく候叉おかしきやうに候ともてんもくになんりやう入て候へしおかしくてなどやそうし候はれ候はぬあなかしこ
    (続呉文炳蒐集手蹟目録・解説)

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