千代女(加賀の千代尼)
Chiyojo(KaganoChiyoni)
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- 作家名
- 千代女(加賀の千代尼) ちよじょ(かがのちよに)
- 作品名
- 落鮎自画賛
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本水墨 緞子裂 合箱
本紙寸法57.2×27cm
全体寸法73.5×120cm - 註釈
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《落鮎や日に日に水のおそろしき》
秋、落ち鮎が産卵を終えて川を下っていく、その情景をとらえて千代女は《おそろしき》と詠んだのである。大河寥々(大河良一)氏は著書『千代尼伝』のなかで、俳人八椿舎康工の「水を家と見なしたる遊魚も零落の此日ありて観相ここに尽たり」という批評を引用し、氏はこれをしいて観相の句とは思わず、自然の詠嘆からおのずとにじみ出るものを感ずるだけであるとこの句の印象を述べている。芭蕉が晩年に提唱した「軽み」について、各務支考の述べた「耳をもて俳諧を聞くべからず、目をもて俳諧を見るべし」(俳諧十論)という「姿先情後」の説をその真意と解するなら、人生の悲哀、儚さを仮託した観相の句と読むことは、「耳をもて俳諧を聞く」ことに等しく、氏の述べるように、《おそろしき》の向こうにおのずとにじみ出た女性らしい「情」の発露を感じとることこそ、「姿先情後」の鮮やかな情景描写の句としてこの句を位置づけることができるのではないか。またそこに、俗化の一途を辿ったといわれる俳諧混迷期にあって、一人女流としての俳人千代女の輝きと価値を見いだすことができるのではないかと思う。
この句は、《朝顔に釣瓶とられてもらひ水》と並んで千代女の名句として知られ、元文 5年(1749)38歳のとき刊行の「三顔合」(岡山連中編)に初見されるが、享保13年(1728)26歳のときの「竹藻橋」(韋吹)に《落鮎や日に日に水のすさましき》の句が載せらている。