菅茶山
Kancyazan
- 作家名
- 菅茶山かんちゃざん
- 作品名
- 詩書
- 作品詳細
- 掛け軸 絖本水墨 緞子裂 象牙軸 阿南竹陀箱
本紙寸法49.1×131.5cm
全体寸法57.9×203.5cm - 註釈
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阿南竹陀 文久4年(1864)~昭和3年(1928)
豊後国直入郡竹田町(大分県竹田市)に生まれる。本姓、波多野。本名、友彦のちに衡。別号、臨泉、二雄、酔竹山人、龍洞。守山湘帆、淵野桂仙、木下逸雲に南画を学ぶ。長崎、名古屋、東京に住む。
【原文】
山堂夜静不聞風 推戸初驚雪満空
懶借悪驢行野外 旦修阮屐歩園中
参差珠閣隣村見 蜿蜒青蛇一水通
当歳吾以無此賞 可能高臥学袁公戊寅正月十二日写 晋師 履誤作屐
(七言律詩)【訓読】
山堂、夜静かに風を聞かず。戸を推して初めて驚く、雪の空に満つるを。
懶うげに悪驢を借りて野外に行く。かつ阮屐を修めて園中を歩く。
参差たる珠閣、隣村に見え、蜿蜒たる青蛇、一たび水を通る。
当歳、われ以て此の賞なし。よく高臥して袁公を学ぶべし。戊寅正月十二日写 晋師 履を誤りて屐となす。
【訳文】
山里の拙宅の夜は静まりかえり、風の音も聞こえない。
戸を推して外に出てみると、満面の雪に初めて気が付き驚いた。
あまり気は進まないが驢馬を借りて野外を行く。
また木のくつをはいて園内を散歩する。
高さのちがう楼閣が隣の村の方に見え、
青大将がのたくって小川をわたって行く。
この歳になっては、風景をめでるという楽しみもあまりない。
家でぬくぬくと布団にまるまって袁牧先生の本でも読んだがよい。戊寅(文政元年)正月十二日写す 晋師(ときのり)
履を誤って屐としてしまった。【語釈】
○阮屐―唐代の詩人王維の詩中に「牀下阮家屐、窗前?竹杖」とあることから、木屐、すなわち木製の履き物を言う。
○参差―ふぞろいなさま。
○蜿蜒―龍や蛇がうねりゆくさま。
○袁公―清代性霊派の詩人袁牧(1716~1797)のことであろう。随園と号す。『小倉山房集』『随園詩話』など。江寧の付近に邸宅随園を購入し、三八歳で致仕して以後官途につかず、日常生活の楽しみを詠う。女弟子を多く集めたことでも知られ、頼山陽などがその詩を愛読しているが、この幅により山陽の師である茶山(1748~1827)が既に袁牧を愛読していたことがわかり、興味深い。茶山、70歳、文政元年(1818)、1月12日の優品。売り立て目録(不明)に所収。