前島密
Maejima Hisoka
- 作家名
- 前島密まえじま ひそか
- 作品名
- 詩書
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本水墨 緞子裂 合箱
本紙寸法37.6×150.3
全体寸法(胴幅)54.2×217㎝ cm - 註釈
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人不通古今
襟裾馬牛
士不暁廉恥
衣冠狗彘人、古今に通ぜざれば、襟裾(きんきょ)の馬牛なり。 士、廉恥に暁(あきら)かならざれば、衣冠の狗彘(くえ)なり。
(現代語訳)
古今のことを知らない人は、襟と裾のついた馬や牛と同じである。
清らかでなく恥をしらない士は、衣と冠を着けた犬や豚と同じである。中国北宋時代、杭州の西湖にそびえる孤山のふもとに隠れ住み、梅を友とし、鶴を妻とみたて悠々自適、城内には一歩も足をふみいれなかったという詩人がいた。林逋(りんぽ)または林和靖がそのひとりである。
彼の生きかたは共感をよんで文人画の好画題となった。人物のかたわらに鶴がいて、梅が描かれているなら、その人はきっと林和靖なのである。
たとえば明代の「菊逸説」には、それぞれの季節を代表する花として桃(春)菊(秋)蓮(夏)梅(冬)をあげたあと「潘岳(はんがく)は桃に似、陶元亮は菊に似、周元公は蓮に似、林和靖は梅に似ている」とある。陶淵明と菊、周茂淑と蓮におとらず、梅と林逋の結びつきは強い。
ところで梅だが、日本ではめでたいものの象徴となってしまった松竹梅、これはもともと中国では「歳寒三友」とよばれた。節をまげず、寒さにたえて花をつけ、緑をまもる。冬の時代を生きぬく知恵と意思をそこに託して、文人たちはそれを愛する。梅はそういうわけで優雅に反骨をほのめかすメッセージでもある。
鶴もそう。天と地を結ぶ鶴は、俗にまじわっても濁らぬ仙の乗り物。たしかどこかに「鷗は閑客、鶴は仙客」なることばがあった。草木之品在花桃花 於春菊花於秋蓮花
於夏梅花於冬四時 之花臭色髙下不齊
其配於人也亦然潘 岳似桃陶元亮似菊
周元公似蓮林和靖 似梅惟其似之是以
尚之惟其尚之是以 名之今之托於花者
吾得一人焉吉水處 士張某號菊逸蓋賢
而隱者屈子曰飡秋 菊之落英陶子曰秋
菊有佳色浥露掇其 英皆以菊為悦者也
皆古之賢人也菊之 美不待賛菊花之美
而隱者也某之托於 菊也亦不待賛
明治甲午(明治27年)夏日明陳白沙菊逸説 泥舟精書陳白沙 (ちんはくさ)
明代前期の思想家。1428-1500年。
名は献章で字は公甫、号は石斎、石翁、白沙子など多数。
呉康斎の門下で朱子学を学んだが理の追求に悩んで離脱、広東新会県の白沙村にて自然に即した性命の学を講じた。
その風懐は遠く宋の周濂渓、程明道に近い。
晩年には門人として湛甘泉を得るなど三千人を超える子弟を有したとされる。
その学は自己の本体たる心を明かにするための手がかりとして静坐工夫を重んじ、知識や文章に捉われることなく真実を求め、誠と偽を明らかにして功夫を究めてゆけば華が朽ちて実のなるが如くに自然と自得に至るとしている。