前島密 Maejima Hisoka
1835年(天保6年)~1919年(大正8年)
新潟の豪農、上野助右衛門の次男として生まれる。幼名房五郎。通称は来輔、号は鴻爪子。12歳で江戸に出てオランダ医学、他に英語、数学、砲術、兵法、機関学、航海術などを学ぶ。1865年、薩摩藩の招きで、鹿児島開成学校に英学教師となる。翌年江戸に帰り幕臣前島家の養子となり、名を来輔(助)と改める。維新後には江戸遷都を大久保利通に建言し、民部省、大蔵省に勤務する。1870年、イギリスに出張した祭に郵便事業を学び、翌年帰国後に、駅逓頭に就任。郵便為替、郵便貯金の取り扱いを開始し、ついで量目制による料金均一主義による制度を全国に実施する。1880年、駅逓総官、明治十四年の政変で逓信総官を辞し、大隈重信らとともに立憲改進党の結成に尽力する。1887年、東京専門学校(早稲田大学の前身)校長に就任。晩年は実業界に活動し、1902年、男爵、1904年には貴族院議員になる。
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