菊池芳文
Kikuchi Hobun(Kikuchi Houbun)

菊池芳文 1
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作家名
菊池芳文 きくち ほうぶん
作品名
青楓香魚
作品詳細
掛け軸 紙本淡彩 緞子裂 象牙軸 菊池契月箱
本紙寸法31×129.8cm
全体寸法48.1×191.5㎝
註釈

菊池契月
明治12年(1879)~昭和30年(1955)

長野県下高井郡中野町(中野市)に生まれる。本名、細野完爾。13歳のころから山ノ内渋温泉に住む郷里の南画家、児玉果亭に絵を学ぶ。果亭より契月の号を授かる。明治29年(1896)、町田曲江と共に京都に出て菊池芳文に入門。明治31年(1898)、第4回新古美術品展で「文殊」が1等賞受賞。明治39年(1906)、芳文の長女アキと結婚し菊池家を嗣ぐ。翌明治40年(1907)、第1回文展に「春暖」出品。以後文展で受賞を重ね、大正7年(1918)、文展審査員となる。同年、京都市立絵画専門学校教授に就任。大正11年(1922)、同学から派遣され、入江波光、中井宗太郎らとともに欧州を視察する。昭和7年(1932)、京都市立絵画専門学校、京都市立美術工芸学校両校の校長となる。昭和12年(1937)、帝国芸術院会員。幸野楳嶺門下、竹内栖鳳、谷口香嶠、都路華香と共に四天王と称され、四条派本流に身を置きながらも、古典に回帰し、新しい大和絵、新しい古典ともいうべき澄明で硬質な独自な作風を築く。