山本五十六
Yamamoto Isoroku
- 作家名
- 山本五十六やまもと いそろく
- 作品名
- 白石権四郎宛賀状(掛け軸)及び書(メクリ)
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本水墨 緞子裂 吉川安平箱
賀状寸法5.3 ×8.7
封筒寸法13 ×10.2 全体寸法(胴幅)26.8×158.8㎝
書(メクリ)
龍蛟躍四溟
メクリ寸法25.2×27.2 - 註釈
-
吉川安平
明治6年(1873)~昭和34年(1959)山口県防府市上右田に生まれる。明治42年(1909)、海軍大学校卒業。日本海海戦に駆逐艦「陽炎」の艦長として参戦。第2艦隊参謀長、海軍水雷学校長、海軍潜水学校長、艦政本部第7部長艦政本部長、第2艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官など歴任。大正12年(1923)、海軍中将に昇進。昭和4年(1929)、予備役となり、後に山口県教育会長を勤めた。
(賀状)
戦勝気分など程遠きき次第と存居候
一致協力奮励精進
白石権四郎殿賀状の消印は、昭和17年1月(日付は判読不明)。
日本は前年12月7日にハワイ真珠湾を攻撃する。国民が戦勝祝賀気分に沸くなか、山本五十六は、「戦勝気分など程遠き」と賀状に記す。《龍蛟躍四溟》
(りゅうこうしめいにおどる)龍蛟は、蛟竜(みずち)ともいい、大辞林には、〈①中国の想像上の動物。まだ竜にならない、蛟みずち。水中にひそみ、雲や雨にあって天上にのぼって竜になるとされる。②時運に恵まれず、志を得ない英雄や豪傑〉とある。
四溟は四方の海、天下あるいは世界の意。
日本を龍蛟に喩えた山本五十六は、日本の未来をどのように思い巡らしたか、あるいは自身の運命を龍蛟になぞったのか。
《龍蛟躍四溟》の書メクリは、吉川安平箱のなかに「本装スル事」という書付とともに入れられていたもの。ほぼ色紙の大きさで、額、掛け軸どちらにでも仕立てることができます。