康有為
Kou Yuui / K'ang Yu-wei / Kāng Yǒuwéi
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- 作家名
- 康有為こう ゆうい
- 作品名
- 皇帝十有三年春
- 作品詳細
- 巻子 紙本水墨 合箱
全体 幅20.7㎝ 全長724㎝
本紙 20.7㎝ x 703㎝ - 註釈
-
【原文】
皇帝十有三年春、将東巡斉魯、封岱宗、禅梁父。
登天下之高、窺滄海之深、遊於堂人之門而休等。
於是、先期託群臣曰、吾聞、不省一山一水一秀才、
其景必有殊聯、得訪虞書可観之製、示群工、其先為朕図嗣浚省之。
庶僚奔走效力、日夜鳩工恐不得書於壱心。為東国若萬凡、山水之櫓、
一勝地無不絵図以古之壘摺、而識之用備一人之顧問、雲一仆遊東国、
欠猶東人也。撨生於山而知山、漁習於水而知水。請略其梗概、二三子覧處、
山東者、北控燕冀、南連三呉、西接中州、会通中貫、滄海左環而泰岱晁崎与陲一隩區也。
余党登所記東嶽無其峰曰、日観鶏鳴可見日、登泰山不知泰山之高、信然日、泰山可望、
長安何奉頭見日而不見長安也。曰、越観可望、会稽剰水残山、不必誇、越山立多也。
其古迹、曰無字碑、曰李斯篆、
曰五大夫松、其近岱曰、吾再字。康有為
(巻末添え書き)
昭和二十五年冬月住大日本大阪府松山則田珎装珎蔵之記也 則田書記【訓読】
皇帝十有三年の春、まさに東のかた斉・魯に巡し、岱宗を封じ、梁父を禅す。
天下の高きに登り、滄海の深きを窺い、堂人の門に遊びて休等す。
是(ここ)において、まず群臣に期託して曰わく、吾れ聞く、不省一山一水一秀才、
その景は必ず殊聯有りて、虞書を訪い得て、これを観るべし。製して群工に示す。
それ先(まず)朕がために図嗣してこれを浚省す。
庶僚は奔走して力を効(いた)し、日夜、工を鳩(あつ)め、恐らくは、書を壱心に得ざることを。東国の老若のためにす。 凡(およ)そ、山水の櫓、一勝地、古(いにしえ)の畳摺をもって絵図せざる無くして、
これを用いて一人の顧問に備う。
雲の一(ひと)たび東国に仆遊するを見れば、なお東人のごとくなり。
撨(きこり)は山に生まれて山を知り、漁(りょうし)は水に習いて水を知る。
略(ほぼ)その梗概を請う。二三子の覧(み)るところ、
山東は、北に燕冀を控え、南は三呉に連なり、西は中州に接して中貫に会通す。
滄海は左に環(めぐ)りて、泰岱・晁崎は与(とも)に陲一隩區也。
余党、登りて記すところ、東嶽の州その峰は曰わく、日観に鶏鳴きて見るべきの日、
泰山に登りて泰山の高きを知らず。
然(しか)信じて、
泰山より長安を望むべし。何の峯頭か見て長安を見ざる也。
越観より会稽を望むべし。水を剰し山を残して、必ずしも越山の立つこと多きを誇らざる也。
その古迹は、曰わく無字碑、曰わく李斯篆、曰わく五大夫松、その岱に近きは、曰く吾再字なり。【訳文】 (乾隆)皇帝十三年の春に、東の方角、斉・魯に巡行し、泰山と梁父山で封禅を行った。
天下の高いところに登り、大海の深いところをのぞきこみ、堂の守衛のところで休息した。
ここで、まず群臣たちに命じて言った。「私は次のように聞いている。泰山・東海・孔子を除いても、
その景勝には必ず関連があって、虞書を開いて読めば、それがわかるだろう。
これをつくって多くの工人に示した。まず私のために作画して、そのことを深く考えよう。」
幕僚らは奔走努力し、日夜、工人を集めたが、心配したのは、出来たものがお上の心にかなわず、山東半島の老若のためのものになることであった。
およそ、山水の勝地であるこの地方は、むかしからの製作によって作画しないものはなく、
これを利用してお上の閲覧に備える。
雲が山東地方にたなびくことを見れば、なお東の人のようである。
撨(きこり)は山に生まれて山を知り、漁(りょうし)は水に習って水を知るのである。
その概略を見てみると、二三の人々のいうところでは、
山東半島は、北側に燕州や冀州を控えており、南側は呉の国に連接し、
西側は中原地方に接して中央につながっている。
東海は左側にめぐって、泰山・晁崎はともにその中心に鎮座している。
私が、泰山に登って記したことは、東嶽の州の峰々では、
日観峰に一番鶏が鳴くことを見ようとした日には、泰山に登って泰山の高きを知らなかった。
そのように信じて、泰山から長安を遠望するのだ。
どうして峯の頭だけを見て、長安を見ないことがあろうか。
越観峯より南の会稽の山を遠望しよう。水は豊かで、山々が連なり、
必ずしも越地方の山が多いことをだけを誇るわけにはいかない。
泰山の古迹としては、無字碑、李斯篆、五大夫松などがあるが、
泰山の実態に最も迫ったものは、私の記録なのである。【語釈】 「皇帝十有三年春」―乾隆皇帝十三年戊辰(一七四八)二月、皇帝は曲阜に巡幸す。
「斉魯」―古代の斉と魯の国。現在の山東省。
「岱宗」―山東省曲阜の泰山のこと。
「梁父」―泰山の隣の梁父山のこと。
「封禅」―泰山で天の神を祭り、梁父山で地の神を祀ること。
「一山一水一秀才」―斉・魯地方の誇るべきもの。すなわち、泰山・東海・孔子である。
「虞書」―『書経』の一章。
「燕冀」―燕州(河北省)と冀州(河北省・山西省の一部)。
「三呉」―呉(江蘇省)。
「中州」―黄河地方の中原。
「晁崎」―未詳。
「日観」―泰山の中の日観峯
「越観」―未詳。泰山の呉観峯のことか。
「会稽」―浙江省紹興の南東にある山。呉王夫差が越王勾践をくだした地。
「無字碑」―泰山玉皇殿の土壇の石組みのところに立つ四角い石の柱。その成立については諸説あるが、始めから文字は刻まれていなかったようだ。
「李斯篆」―秦の始皇帝の宰相、李斯が記した篆書体の泰山刻石。
「五大夫松」―秦の始皇帝が雨宿りして、「五大夫」の位を授けたという泰山の松。思想家としての康有為は、「大同太平」に至る過程を、拠乱世、升平世(小康)、太平世(大同)に分け、自身の生きる中国を拠乱世として、拠乱世の中国が、升平世(小康)に発展するには、中国王朝体制の打倒ではなく、立憲君主制の確立であると考えた。この「皇帝十有三年春」の皇帝とは、清朝最盛期を現出し、何度も泰山に行幸した乾隆皇帝の最初の泰山巡幸を指すと思われる。また、康有為自身も、民国5年(1916)、59歳の時に、曲阜と泰山を訪れ、日観峯から東海に昇る朝日を遠望し、民国11年(1922)、65歳の時に、再び泰山を訪れ、泰山の麓の古刹普照禅寺に滞在した。(呉天任撰『康有為先生年譜』・馬洪林著『康有為大伝』・『康有為全集』等による)。本作品は、その生涯に渡る政治活動のなかで、康有為の理想の君主像が、乾隆帝であったことを如実に物語る。また、その書体は、秦漢や北朝の石碑の研究によって身につけた独特の力強い筆法で、自身の著『広芸舟双楫』で詳述した「逆入平出」の書法を実践して見せるものである。