伊豆凡夫
元治元年(1864)~昭和19年(1944)
筑前(現在の福岡県の属する)富士原に生まれる。号、蘿山。陸軍少将。陸軍士官学校卒業後、日清戦争に大山巌の副官として参加。日露戦争では乃木希典に従い第一師団参謀中佐を務める。帝国飛行協会理事、富国徴兵保険会社創設者
所貴於士者以其知時也。
時有勢焉有機焉。勢所推移、機所起伏、非必難知也。
而莫之知者有所蔽耳。唯有識之士能先見之、去利就義去濁就潔。擧世不知而
己獨知之。知之明故決之。果彼之所驚我以爲當然
明治己酉五月十一日 後學 源希典 書
士において貴しとする所はその知る時を以ってなり。
時に勢い有り、機有り。勢いは推移し機も起伏する所なり。
必ずしも知ること難きに非ざるなり。
而して之を知ること莫き者は耳を蔽う所有り。
唯、有識の士のみ能く之が先を見、利を去りて義に就き、濁を去りて潔に就
く。世を挙げて知らざりて己独り之を知る。知ることの明なるが故に之を決
す。果ては彼の驚くところ、我以為へらく当然たり。
(現代語訳)
士太夫が貴ぶ所はその由縁を知った時である。時には勢いがあり、また機も
ある。勢いは推移し、機もまた起伏するものである。必ずしもそれを知る事
が難かしい訳でもない。それに気付かない者は耳を塞いでいるだけで、唯、
有識のもののみが先見の明を有し、利を去って義に加担し、濁を逃れて潔に
加担する。世間中が知らない事を自分独り知っており、その知が明白なだけ
に、その結果世間が驚くような事も、私には当然の事と思われるのだ。
本紙に若干折れあり。