鄧州全忠(南天棒)
Nantenbou

鄧州全忠(南天棒) 1
鄧州全忠(南天棒) 2
鄧州全忠(南天棒) 3鄧州全忠(南天棒) 4
作家名
鄧州全忠 (南天棒) なんてんぼう
作品名
白雲断処家山妙
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 紙表具 合箱
本紙寸法32.7×137.5cm
全体寸法49.9×205cm
註釈

四海雲水 鉢孟如雷 四海の雲水、鉢孟や雷の如し

この世界にある雲水たちが、それぞれに呼ばわる托鉢の声。まるで雷のように高らかであることよ。

烏藤圓笠 化幾村歸 烏藤に円笠、化して幾(いくばく)か村に帰するや

出家の後の、古びた杖に円い笠の雲水姿。果たしてこのうち何人が、姿かたちだけではなく、悟りを得て真の禅僧となって故郷の村に帰るのであろうか。

初行脚に出るとき禅堂生活のことはもちろん、投宿、点心の作法、庭詰、旦過詰、師家相見にいたるまで、掛塔の一切を師匠が教えてくれたが、今時の雲水たちは、汽車でツーと行くものだから、投宿のことも点心のことも知らん。知らん者が、いつか和尚となるものだから、さあ、なにも知らんことになってしまう。それだから、駄目の皮だ。禅宗の行脚(遍歴)は、行脚そのものが修行だよ。動中の工夫が行脚だ。山河大地みな教科書、山色水声ことごとく公案だ。それを知らん和尚ばかりだから、たまに雲水が行脚して寺へ投宿を頼みに行くと、宿銭がないから来たな、と思われて、取次に出た丸髷姿の朱唇に、お断りしますとやられる。あはは…。いまどきは全く道のために行脚する雲水がなくなって、本当に無銭の乞食坊主でないと、投宿や点心をたのまないから、断られるのもまた無理はない。けれども、真箇の修行僧には、行脚ほど実地になることはないぞ。古人は、うんと行脚したものだ。趙州大老師は八十からまた行脚したではないか。点心とは、旅で草鞋がけのまま庭先きで食事をいただくことさ。(南天棒禅話)

南天棒という人は、自ら墨蹟十万余というように、書や禅画を書きに書きまくった禅僧でありますが、私は共箱というものを見たことがありません。たぶん敢えて書かなかったと思います。共箱というのは自ら表題を記し署名をするものですから、それがなければ表題は適当に付けなくてはなりません。この有名な図は、多くは『雲水托鉢図』と呼称されています。しかし、見たままその通りではあまりに素っ気がないので、取り敢えず賛から拝借して『鉢孟如雷図』としてみましたが・・・

親鸞の言葉、《つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向(えこう)あり。一つには往相(おうそう)、二つには還相(げんそう)なり。往相の回向について真実の教行信証あり。》は、浄土真宗の重要な教えとなっています。往相回向とは、自分の行じた善行功徳を他人に及ぼし(回向)、自他ともに浄土へ往生し成仏することであり、還相回向とは、浄土から現世に戻って、すべての衆生を救済することです。久松真一は、『清沢精神と革新仏教』のなかで次のように語っています。《私も、最近は還相ということをしきりに強調しているのでありますが、往相のない還相というものはあるはずがないのでありまして、それが、浄土真宗で申されますように、共に廻向であるかどうかということについては、私の考えは別でありますが、とにかく、還相ということは、絶対的に死んで甦るというところに、本当の還相というものがあるのでありまして…》、ここで久松真一の言う、《共に廻向であるかどうかということについては、私の考えは別でありますが》とは、往相において、それは徹底した悟りへの修行であり、自他ではなく、自身が真の自己に覚める行き道であるとする臨済禅とは、往還ともに仏の本願力による他力回向であり、自他ともに浄土へ往生するという浄土真宗とは考えを異にするということであろうと思います。私は、取り敢えず、この双幅の図を『鉢孟如雷図』としましたが、浄土真宗の「往還回向」とは違う「往相」「還相」であっても、向かう雲水は、浄土(悟り)への道行きであり、還(かえ)る雲水は、悟りを得て衆生のもとに還える道行きに他なく、これは、臨済における『往相と還相図』と捉えてよいのではないかと思っております。