大隈重信
Okuma Shigenobu
- 作家名
- 大隈重信 おおくま しげのぶ
- 作品名
- 藤嶌正健宛書状
- 作品詳細
- 巻物(他に徳大寺実則、山縣有朋書状付き) 野村素介箱
本紙寸法88×17.5㎝ - 註釈
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啓弥心清安慶賀仕候
陳者明治女学校ハ東京
府下ニ於テ最初の私立女
学校ニて創立以来篤志同
人の協賛熱心ニよって継持
せられ候一昨年類焼全校
○有に帰し四方の同情ニよ
って直ちニ新校舎を得所
今度一層○張益々整備
せしめ如きよしニて基本金
募集に着手す余ハ創立
以来多年世話いたし居り
此度の計画ニも賛成ニ付
助力を与へ○をき貴下令
嬢ハ曽テ入校在学せられ
しをも存之候よし此際以同様
以賛助を与へられんこと○○
仕候委曲ハ校員参堂以
相談可申入候早々不備
明治三十一年七月大隈重信
藤嶌正健様
野村素介
天保13年(1842)~昭和2年(1927)
周防国(現在の山口県の属する)吉敷郡長野村(現在の山口市大内長野)に長州藩士有地留之助の次男として生まれる。幼名、範輔。字、絢夫。号、右仲、素軒。 はじめ、藩校明倫館、江戸の長州藩上屋敷内の有備館で学び、さらに儒学者塩谷宕陰に漢籍、経書、歴史を学び。小島成斎に書道を学ぶ。文久3年(1863)、長州藩士野村正名の養子となる。文久2年(1862)、帰国して明倫館舎長となる。幕末に際し、尊皇攘夷を唱え国事に奔走する。明治元年(1968)、山口藩参政兼公議人兼軍政主事となり、翌年に権大参事となる。明治4年(1871)、ヨーロッパ諸国を視察。帰国後、茨城県知事、文部大丞、教部大丞、文部大書記官、元老院大書記官、元老院議官などを歴任。明治23年(1890)、貴族院議員、錦鷄間祇侯となる。正二位勲一等 男爵。