大隈重信 Okuma Shigenobu
天保9年(1838)~大正11年(1922)
佐賀藩士の家に生まれる。幼名、八太郎。弘化元年(1844)、6歳の時に藩校弘道館に入る。安政2年(1855)、葉隠に影響を受けた学風の改革を唱えて退学を命じらる。これを機会に蘭学に転じて藩の蘭学寮に入り、更に長崎に遊学してアメリカ人宣教師フルベッキのもとで英学を学ぶ。文久元年(1861)、弘道館の教授となる。維新後、慶応4年(1864)、新政府の徴士参与職、外国事務局判事に任じられ、外国官副知事に昇進する。明治6年(1873)、大蔵省事務総裁となり財政を主導する。明治14年(1881)、憲制の早期導入を主張して伊藤博文らと対立、参議を罷免される。明治15年(1882)、東京専門学校(現早稲田大学)を創立。明治21年(1888)、外務大臣となる。明治31年(1898)、板垣退助らと憲政党を結成、薩長藩閥以外から初の内閣総理大臣(外務大臣兼任)に就任し、日本最初の政党内閣を組織した。明治40年(1907)、早稲田大学総長に就任。
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