星巌夫妻は再び下関に来て、広江秋水の家である「老竜園」に身を寄せた。広江秋水は下関の人で赤間関市長広江殿峰の子である。山陽の門人で、「海鷗吟社」という詩社を設けていた。山陽の親友、田能村竹田も『師友画録』のなかに好意をもってとりあげている。その住居には古い大木があったので、これを「老竜園」と名づけていた。
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