徳川家康 Tokugawa Ieyasu
天文11年(1542)~元和2年(1616)
三河岡崎城主松平広忠の長男。母は水野右衛門大夫忠政の娘。幼名、竹千代。初名、元信のし元康。院号、安国院。幼時から隣国の織田・今川氏の人質として育つ。永禄3年 (1560)、桶狭間の戦い後、西上する織田信長と同盟を結び東へ進出。信長の死後その子信雄を助け、小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉と戦うが和睦し臣従した。秀吉の死後、石田三成を関ヶ原の戦いで破り、天下の覇権を握った。慶長8年(1603)、夷大将軍宣下。慶長10年(1605)、将軍職を子秀忠に譲って駿河に引退したが幕政を後見。慶長19年(1614)、大坂冬の陣、慶長20年(1615)、大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼし幕府の基礎を築いた。
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