帆足杏雨Hoashi Kyou

文化7年(1810)~明治17年(1884)

豊後国大分郡臼杵藩領戸次市村(現大分市)に代々酒造業をも営む庄屋の四男として生まれる。名、遠。字、致大。通称、熊太郎。別号、鶴城、聴秋、半農など。文政7年(1824)、田能村竹田に竹田荘に入門、同じ頃、竹田の薦めで、広瀬淡窓の咸宜園に入門する。明和5年(1828)、大阪、京都に出て、頼山陽、浦上春琴ら当時一流の文人たち交わる。嘉永元年(1848)、朝廷の命により山水図を制作し献上。明治5年(1873)、ウィーン万国博覧会に「耶馬渓青緑山水図」を出品。

帆足杏雨 帆足杏雨 廣江秋水 安治川送別詩画扇子
安治川送別詩画扇子

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