丸木位里Maruki Iri

明治34年(1901)~昭和30年(1955)

広島県安佐郡飯室村(広島市安佐北区)に生まれる。初め日本南画院、昭和11年から昭和13年まで青龍社に参加。戦争前後は戦争に批判的なグループ、美術文化協会、前衛美術会などで活躍。昭和24年、前衛美術会脱退後は無所属となり現代日本美術展、日本国際美術展、从展などに作品を発表する。原爆投下直後の広島に入り、その体験を基に妻丸木俊との共作「原爆の図」十五連作、「アウシュビッツの図」、「南京大虐殺の図」、「沖縄戦の図」など戦争の悲惨さを訴える作品を多く描く。

丸木俊 Maruki Toshi

明治45年(1912)~平成12年(2000)

北海道雨竜郡秩父別村(秩父別町)に生まれる。旧姓赤松俊子。昭和8年、女子美術専門学校(現女子美大)卒業。昭和12年、家庭教師として1年間モスクワに滞在。昭和15年、ミクロネシア群島に滞在。昭和16年、丸木位里と結婚。位里とともに原爆投下直後の広島に入り救援活動に従事する。昭和23年より女流画家協会展に出品し、位里と共作「原爆の図」十五連作、「アウシュビッツの図」、「南京大虐殺の図」、「沖縄戦の図」など戦争の悲惨さを訴える作品を多く描く。

丸木位里、丸木俊 母子 原爆之図
母子 原爆之図
丸木位里、丸木俊 平和母子の像
平和母子の像

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