明治天皇 Meiji-tennou
嘉永5年(1852)~ 明治45年(1912)
第122代天皇。名、睦仁。幼名、祐宮(さちのみや)。孝明天皇第二皇子。母は権大納言中山忠能の娘慶子(よしこ)。慶応2年(1867)、孝明天皇が崩御し、慶応3年(1868)、満14歳で践祚(せんそ)。王政復古の大号令を発布し、明治天皇の名により天皇親政を宣言。明治元年(1868)、五箇条の御誓文布告、天皇を中心とした明治政府の基本方針が示される。明治22年(1889)、大日本帝国憲法を発布、広範な天皇大権を規定し、天皇を元首とする日本の近代国家体制が確立する。明治23年(1890)、教育勅語を発布し、近代天皇制国家を支える国民道徳の規範を示す。明治45年(1912年)7月30日、持病の糖尿病に尿毒症を併発し、61歳(満59歳)で崩御。近代国家日本の勃興期の最高指導者として、その功績から戦前は、明治大帝、明治聖帝、睦仁大帝といわれ崇拝された。
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