吉田松陰 Yoshida Shouin
天保元年(1830)~安政6年(1859)
長州萩城下松本村(現在の山口県萩市)で長州藩士杉百合之助の次男として生まれる。天保5年(1834)、山鹿流兵学師範であった叔父、吉田大助の養子となる。名、矩方。通称、寅次郎。別号、二十一回猛士。藩校明倫館を経て、嘉永3年(1850)、諸国を遊学。江戸の佐久間象山のもとで砲術と蘭学を学ぶ。安政元年(1854)、ペリー2度目の来航の際、長州藩足軽金子重之助とともに密航を企てるが失敗、江戸伝馬町の牢獄の投獄された後、萩の野山獄に投獄される。翌安政2年、免獄となり実家杉家に幽閉される。その間松下村塾を開き、門下から高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、井上聞多(井上馨)品川弥二郎ら維新の原動力となる人材を輩出した。安政5年(1858)、老中間部詮勝暗殺計画により、再び野山獄に投獄。安政6年(1859)、幕府は長州藩に松陰の江戸送致を命じ、同年10月27日、伝馬町の獄で処刑される。
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