中村天風 Nakamura Tenpu(Nakamura Tenpuu)
明治9年(1876)~昭和43年(1968)
東京に生まれる。本名、中村三郎。父、中村祐興は大蔵省初代抄紙局長で、旧柳川藩士。 東京で幼年時代を過ごした後、福岡市の親戚の家に預けられ修猷館(修猷館高校)に入学するが、喧嘩によって相手を刺殺、正当防衛は認められたが修猷館を退学となり、親族の男爵前田正名氏の紹介で頭山満の玄洋社に預けられる。以後、陸軍の軍事探偵として満州を暗躍、「人斬り天風」と呼ばれた。日露戦争後30歳にして、奔馬性結核を発病。治療法を求めアメリカ、欧州へ赴き、明治44年(1911)、日本への帰国の途中、カイロにてインドのヨガの聖者カリアッパ師と邂逅。弟子入りしヒマラヤ第3の高峰カンチェンジュンガ山麓で2年半のヨガ修行を行い全快する。帰国後は東京実業貯蔵銀行頭取など実業界で活躍するが、大正8年(1919)、一切の社会的身分、財産を処分し「統一哲医学会」を創設。インドでのヨガ体験をもとに、本来自然物である人間は、自然環境、エコロジーに内在する「真・善・美」の調和を追求し、そのプロセスを活き方の指針とすることにより、人間本来の命の力、エネルギー、潜在能力を発揮することができるという独自の「心身統一法」を提唱する。昭和15年(1940)、「統一哲医学会」を「天風会」に改称し、昭和37年(1962)、「財団法人天風会」となる。門下に東郷平八郎、原敬、松下幸之助、稲盛和夫など多くの著名人がいる。
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