売茶翁/歴史人物 1/掛け軸、絵画の買取 販売 鑑定/長良川画廊

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歴史人物 1
T-003 売茶翁

T-003 売茶翁Baisaou

 売茶翁 1
 売茶翁 2
 売茶翁 3
 売茶翁 4 売茶翁 5
作家名
T-003 売茶翁ばいさおう
作品名
茶道七事看語
価格
450,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本 緞子裂 正木直彦識箱
本紙寸法65.2x43.27
全体寸法(胴幅)76.2x127.5㎝
作家略歴

売茶翁
延宝3年(1675)~宝暦13年(1763)

肥前国蓮池道畹(佐賀県佐賀市蓮池町)に生まれる。本名は柴山、諱(いみな)元昭。僧名は月海。還俗後は高遊外とも称した。12歳のころ、肥前竜津寺化霖道竜につき出家。13歳の時、化霖禅師とともに宇治の黄檗山萬福寺の独湛性瑩に参禅。その後、陸奥仙台の万寿寺月耕道稔に参禅するなど諸国を行脚。のち竜津寺化霖禅師のもとに戻るが、享保5年(1720)、57歳のとき、化霖禅師が没すると竜津寺を法弟大潮元皓にまかせて上洛。東山に通仙亭を営み、煎茶を売り、煎茶を喫しながら、禅の教えを庶民に広めた。著書に『梅山種茶譜略』。

正木直彦
文久2年(1862)~昭和15年(1940)

和泉国堺夕栄町(大阪府堺市)に生まれる。号、十三松堂。東京帝国大学法科大学法律科卒業後、奈良県尋常中学校長、帝国奈良博物館学芸委員、古社寺保存委員、第一高等学校教授を歴任。明治34年(1901)、岡倉天心の後を受け、以後30年にわたり東京美術学校校長を務めた。茶人、能書家としても知られる。

コンディション他

【原文】
花月   互換機峰子細看
且坐   是法住法位
廻炭   端的底(看)聻
茶カフキ 于古于今截断
      舌頭始可知真味
回花   色即是空擬思量即背
一二三  修証即不無
      染汚即不得
数茶   老倒疎慵無事日
     安眠高臥対青山
 関
見わたせハ花も紅葉もなかりけり
 うらのとま屋の秋の夕暮
己巳小暑書于黙雷室月海杜多

【訓読】
花月   機鋒を互換して、子細に看(み)よ。
且坐   是法は法位に住す。
廻炭   端的底に看よ?。
茶カフキ 古より今に舌頭を截断すれば始めて真味を知るべし
回花   色即是空なり、思量を凝らせば即ち背く。
一二三  修証即ち無きにあらず、染汚すれば即ち得ず。
数茶   老倒疎慵、無事の日、安眠高臥して青山に対す。
 関
見わたせハ花も紅葉もなかりけり
 うらのとま屋の秋の夕暮
己巳の小暑、黙雷室に書す。月海杜多。

【訳文】
花月(かげつ)   お互いになりかわって子細に観察せよ。
且坐(さざ)    定まった役割にとどまれ。
廻炭(まわりずみ) そのものずばりを見よ。
茶カフキ      過去から現在の舌を切り取れば始めて真実の味がわかる。
回花(まわりばな) 色即是空である、考えすぎるとまとをはずすぞ。
一二三(ひふみ)  修行と悟りがないわけではない。怠れば得られないぞ。
数茶(かずちゃ)  年をとれば面倒になって無事の日を過ごす。
          枕を高くして気楽に眠り、向こうの青い山を見ればよい。
 関(どっこい通さぬぞ)
見わたせハ花も紅葉もなかりけり うらのとま屋の秋の夕暮
(見渡せば花も紅葉もない、浦の苫屋の秋の夕暮れの風景である)
寛延二年己巳(一七四九)の小暑(六月上旬)、黙雷室で書く。月海杜多(ずだ)。

本紙、裂とも経年のヨゴレ、傷みあり。