売茶翁
延宝3年(1675)~宝暦13年(1763)
肥前国蓮池道畹(佐賀県佐賀市蓮池町)に生まれる。本名は柴山、諱(いみな)元昭。僧名は月海。還俗後は高遊外とも称した。12歳のころ、肥前竜津寺化霖道竜につき出家。13歳の時、化霖禅師とともに宇治の黄檗山萬福寺の独湛性瑩に参禅。その後、陸奥仙台の万寿寺月耕道稔に参禅するなど諸国を行脚。のち竜津寺化霖禅師のもとに戻るが、享保5年(1720)、57歳のとき、化霖禅師が没すると竜津寺を法弟大潮元皓にまかせて上洛。東山に通仙亭を営み、煎茶を売り、煎茶を喫しながら、禅の教えを庶民に広めた。著書に『梅山種茶譜略』。
正木直彦
文久2年(1862)~昭和15年(1940)
和泉国堺夕栄町(大阪府堺市)に生まれる。号、十三松堂。東京帝国大学法科大学法律科卒業後、奈良県尋常中学校長、帝国奈良博物館学芸委員、古社寺保存委員、第一高等学校教授を歴任。明治34年(1901)、岡倉天心の後を受け、以後30年にわたり東京美術学校校長を務めた。茶人、能書家としても知られる。
【原文】
花月 互換機峰子細看
且坐 是法住法位
廻炭 端的底(看)聻
茶カフキ 于古于今截断
舌頭始可知真味
回花 色即是空擬思量即背
一二三 修証即不無
染汚即不得
数茶 老倒疎慵無事日
安眠高臥対青山
関
見わたせハ花も紅葉もなかりけり
うらのとま屋の秋の夕暮
己巳小暑書于黙雷室月海杜多
【訓読】
花月 機鋒を互換して、子細に看(み)よ。
且坐 是法は法位に住す。
廻炭 端的底に看よ?。
茶カフキ 古より今に舌頭を截断すれば始めて真味を知るべし
回花 色即是空なり、思量を凝らせば即ち背く。
一二三 修証即ち無きにあらず、染汚すれば即ち得ず。
数茶 老倒疎慵、無事の日、安眠高臥して青山に対す。
関
見わたせハ花も紅葉もなかりけり
うらのとま屋の秋の夕暮
己巳の小暑、黙雷室に書す。月海杜多。
【訳文】
花月(かげつ) お互いになりかわって子細に観察せよ。
且坐(さざ) 定まった役割にとどまれ。
廻炭(まわりずみ) そのものずばりを見よ。
茶カフキ 過去から現在の舌を切り取れば始めて真実の味がわかる。
回花(まわりばな) 色即是空である、考えすぎるとまとをはずすぞ。
一二三(ひふみ) 修行と悟りがないわけではない。怠れば得られないぞ。
数茶(かずちゃ) 年をとれば面倒になって無事の日を過ごす。
枕を高くして気楽に眠り、向こうの青い山を見ればよい。
関(どっこい通さぬぞ)
見わたせハ花も紅葉もなかりけり うらのとま屋の秋の夕暮
(見渡せば花も紅葉もない、浦の苫屋の秋の夕暮れの風景である)
寛延二年己巳(一七四九)の小暑(六月上旬)、黙雷室で書く。月海杜多(ずだ)。
本紙、裂とも経年のヨゴレ、傷みあり。