国木田独歩
明治4年(1871)~明治41年(1908)
千葉県銚子に生まれる。幼名、亀吉。本名、哲夫。父専八は司法省に務め、父の転勤にともない山口県山口町(山口市)、岩国などで幼少時代を過ごす。明治20年(1887)、東京専門学校英学部(早稲田大学の前身)に入学。在学中に一番町教会(後の富士見町教会)の植村正久牧師から洗礼を受ける。明治24年(1891)、同学中退。明治27年(1894)、徳富蘇峰の「民友社」に入社。『民之友』や婦人雑誌『近事画報』の編集に携わりながら作家活動を続け、『武蔵野』、『独歩集』、『運命』などで自然主義文学の先駆者といわれる。
中桐確太郎
明治5年(1872)~昭和19年(1944)
福島県出身。大西祝、坪内逍遥に師事。早稲田大学教授。西田天香、綱島梁川と交流。哲学者。
本日午後一寸と參堂致し候へ共相憎御留守中にて失望致し候 先達は金子一圓御用立被下千萬かたじけなく候此頃暫く都合つき候間最速返済致し候御落手被下度候 先達馬次氏に御遇ひの節はアーノルドのエッセイを大久保が借りても宜しいと申せしゆへ大兄何卒馬次氏より御受取被下まじくや右願上候 草々
二十八日
確太郎大兄 机下
『国木田独歩全集(増訂版)』(学習研究社)第5巻P259所収
美品です。