尾竹越堂
慶応4年(1868)~昭和6年(1931)
越後国白根町(現在の新潟県新潟市)に生まれる。若年の号に国一、国弌、観月。本名、熊太郎。幼少のころ東京にあって四代目歌川国政に浮世絵を学んだと伝わり、明治18年(1885)ごろから国雪と号して『新潟新聞』に挿絵を描いた。20代前半から31歳くらいまで富山に住んだ後、大阪に移る。明治40年(1907)、伊藤博文より越堂の号を賜る。明治44年(1911)、第5回文展に「韓信」が入選。大正2年(1913年)1月より東京に居を移し、弟の竹坡、国観らとともに尾竹三兄弟として活躍した。
美品。