川上不白
享保元年(1716)~文化4年(1807)
紀州新宮藩付家老水野家の家臣。名、尭達、新柳。別号、宗雪、孤峰、黙雷庵。 川上五郎作の次男として生まれる。16歳の時、水野家茶頭職になるたに表千家七世如心斎天然宗左の内弟子となる。延享2年(1745)、如心斎より茶湯正脈が授与され、寛延3年(1750)、真台子が伝授される。師命を受け、江戸に千家の茶を広め、その門流は江戸千家とよばれた。
萬輝宗旭
宝永4年(1707)~天明3年(1783)
近江の人。徳禅寺の天渓紹策の法嗣。宝暦7年(1757)、出世開堂して大徳寺370世となる。東海寺の輪番をつとめる。
福富雪底
大正10年(1921)~平成18年(2006)
新潟県西蒲原郡潟東村に生まれる。法諱、宗漂。室号、似無愁庵。昭和10年、東京廣徳寺福富以清和尚について得度。昭和19年、大正大学卒業。昭和21年、九州久留米梅林僧堂に掛搭、東海玄照老師に参ずる。昭和37年、廣徳寺住職。昭和58年、大徳寺派管長に就任。
(賛文)
【原文】
前大徳萬輝老拙拝讃
正是嶺頭争鉢時
碓坊宗莫不人見
黄梅密印有誰知
盧老本来無一物
【訓読】
前大徳萬輝老拙拝讃
正にこれ 嶺頭 鉢を争う時
碓坊宗 人の見ざるなし
黄梅の密印は誰か知るあらん
盧老本来無一物
【訳文】
前大徳萬輝老拙拝讃
まさにこれこそ 嶺頭にその衣鉢を争う時である。
碓の坊の教えは、人が見ないことはない。
五祖黄梅の密印のことなど誰が知っているだろうか。
盧老すなわち六祖慧能は、本来無一物なのである。
本紙、ウブなり、経年のクスミあり。