朽木昌綱
寛延3年(1750)~享和2年(1802)
丹波福知山藩朽木家第八代藩主。龍橋、不見庵、宗非、子言、入道公と号した。古銭研究により『新撰銭譜』『西洋銭譜』を刊行。蘭学に関心を持ち、蘭学者の前野良沢や大槻玄沢、オランダ商館長チチングらと交流。また地理研究家でもあり、西方志理右衛門と名のり蘭書を記述編纂した『泰西輿地図説』を著す。不見庵宗非と号し石州流の茶道を松平不昧に学んだ。
【原文】
尚々私茶精進か猶よいとの
御事ゆへ出家客と一所ニあけ
此間者御遠ゝ識候
可申候以上
先夜者少々御不出来
もはや御使可在之と
被存候御風炉茶并
手前之御出は如何ニ候哉
先ツ御風炉ニ参上ニ
仕度御日限同く十一日
十三日十五日之内
よろしく御座候
私方へハ御食事の
御もやう次第二て
廿日後来月初旬
御出可被下候御暇之
上便ニて甚不定ニ
御座候参上者
如何とも成り可申候間
先ツ御呼可被成候
以上
卯月(釈迦誕生)翌日
竜橋公
茶炉下
不昧
【訳文】
此の間は、御遠々しく候。先夜は、少々御不出来最早や御使いこれ存るべきと存せられ候。御風炉茶
ならびに手前の御出は如何に候とも、先づ御風炉に
参上仕りたく、御日限同じく、十一日、十三日、十五日の
内、よろしく御座候。私方へは御食事の御模様次第にて
二十日後、来月初旬御出て下さるべく候。上使にて甚だ
予定に御座候。参上は如何とも成り申すべく候間
先づ御呼び成さるべく候。
なおなお、私茶精進が猶よいとの御事ゆえ、出家客と
一所に上げ申すべく候。以上。
四月七日
竜橋公
茶炉下
不昧