豪潮律師
寛延2年(1749年) ~天保6年(1835)
後国玉名郡(熊本県玉名市岱明町山下)に生まれる。密号は遍照金剛。字、快潮、のち豪潮と改める。父は、浄土真宗安養寺塔頭専光寺第二世貫道。宝暦5年(1755)、天台宗霊験寺の豪旭阿闍梨のもとで修行を始める。明和元年(1764年)、比叡山に登り、南渓吉祥院実栄籠山比丘、正覚院執行探題豪怒大僧に師事。明和5年(1768)、大阿闍梨。曼荼羅供導師(穴太流)の印可を授かる。安永5年(1776年)、寿福寺(熊本県玉名市)の住職となる。文化14年(1818)、尾張藩主徳川斉朝に招かれる。文政元年(1818)、萬松寺(名古屋)に仏塔を建立。文政6年(1823)、長栄寺(名古屋)を建立。顕密二教の蘊奥(うんのう)を極め、江戸時代の『戒律復興運動』に貢献。生涯を通じ、大小あわせて約八万四千の仏塔(宝篋印塔)を建立したと伝えられる。