大塩平八郎
寛政5 (1793)~天保8 (1837)
陽明学者。父は大坂町奉行所与力大塩敬高。名、素。字、子起。通称、平八郎。号、中斎。大坂東町奉行与力、同吟味役を務め、切支丹(キリシタン)逮捕、奸吏(かんり)糺弾、破戒僧遠島など断行。天保の飢饉に際し、東町奉行跡部山城守良弼(水野忠邦の実弟)に窮民救済の対策を建言するが却下される。天保8年(1837)、門弟の武士や農民ら約300人を率いて蜂起するが、一日で鎮圧され(大塩平八郎の乱)、市中油掛町美吉屋に潜伏中、捕吏に迫られ自尽した。
著書に、『古本大学刮目』『洗心洞剳記』『儒門空虚聚語』など。私塾洗心洞を開いた。
【翻刻文】
紅塵挿脚慕清間
幾簣築成新假山
安得化身為寸許
避人避暑老其間
夏日雑興十二首一 大塩後素
【読み下し文】
紅塵に脚を挿みて清間を慕ふ
幾簣(いくき)、築成る新假山
安(いず)ぞ化身を得て寸許を為し
人を避け暑を避けて其の間に老いん
【現代語訳】
俗塵の中にまみれていて清閑の地を慕う
別宅の築山もかなりの土砂を運んで新しく出来上がっただろう
どうにかして役人の身分を忘れ、わずかばかりの暇を作り
人を避け、暑さも避けてそこで老いを養いたいものだ
本紙に多少小折れあり。