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歴史人物 2
D-542 跡見花蹊

D-542 跡見花蹊
Atomi Kakei

 跡見花蹊 1
 跡見花蹊 2
 跡見花蹊 3
 跡見花蹊 4 跡見花蹊 5
作家名
D-542 跡見花蹊あとみ かけい
作品名
墨梅図
価格
150,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 合箱 二重箱
  本紙寸法48.8 ×126.5
全体寸法(胴幅)63.6×196㎝
作家略歴

跡見花蹊
天保11年(1840)~大正15年(1926)

摂津国西成郡木津村(現在の大阪府大阪市西成区)に、寺子屋を営む父、跡見重敬、母、幾野の二女として生まれる。本名、龍野。別号、木花、西成。 12歳の頃に円山派の画家石垣東山に入門。17歳で京都に遊学し、漢詩人の宮原節庵、後藤松陰に詩文を学び、円山応立、中島来章、日根対山に画を学ぶ。安政6年(1859)、父の私塾「跡見塾」を受け継ぐ。慶応元年(1865)、塾を京都に移す。明治3年(1870)、私塾を東京に移し、宮中の女官教育にあたる。明治7年(1874)、神田中猿楽町に「跡見学校」を開校。明治21年(1888)、小石川柳町(現在の文京区小石川1丁目)に校舎を移転。和歌、絵画、華道など伝統的教養を重んじ、のちの女子中等教育に大きな影響を与えた。跡見学園中学校、跡見学園高等学校、跡見学園女子大学を傘下に持つ跡見学園の創設者。
跡見花蹊は、晩年、山崎弁栄の高弟笹本戒浄と出会い、光明主義の熱心な信者となる。

コンディション他

本紙に若干シミがありますが、まずまず美品です。