夢日庵
牡丹花夢庵ト
呼申し、都て
古人ハ世を軽く
見なしけるこそ、
面白かるへし。
君子は変易を
幸と見なし侍る。
出息入息不待、
命終ソレさえ
仏家にハ心得
侍るに、多貴或ハ
長寿のさた耳を
思つるハ愚なる
事そかし。
芭蕉翁ハ幻住庵と
いひ、宗鑑ハ一夜
庵なとゝいえり。
予も定命を
み越へぬれハ
一日過れハ一日の
幸申しと光陰
おくり、尭舜の
御代にあひてハ
嶺角の遊飛を
なす事を得
かたしと、東坡か
述作に等しく
大平長久の
仁にあひし、遍に
有難き事そ
かし。其日×の
歓楽も老躯の
月日を常に
くらしける而已。
角上
【訳文】
夢日庵
牡丹花夢庵(連歌師の牡丹花尚白)という人は言われた。すべて、昔の人は、世の中を軽く見なしているのがおもしろい。立派な君子というのは、世の中の変化をむしろ幸いと考えて、出る息、入る息の短い間でも頼みにならず、命終わることさえあると、仏教の方では心得ている。富貴や長寿のことだけを考えているのは、愚かなことである。芭蕉翁は近江に幻住庵を営み、山崎宗鑑は一夜庵を営んでおられた。
わたしも定命と割り切っているから、一日が過ぎれば一日の幸せだと、日々を暮らしている。尭舜の聖なる御代には嶺角が遊飛することもないという(故事あり)蘇東坡の著述と同じく、大平長久の仁政に出会ったことは、ひとえにありがたいことである。老体でも、その日その日を楽しんで、月日を暮らすだけである。角上
本紙、ヨゴレ、折れあり。