多田鼎
明治8年(1875)~昭和12年(1937)
愛知県宝飯郡五井村(現在の蒲郡市)に生まれる。諱は慶悟。清沢満之の浩々洞同人。明治34年(1901)、真宗大(現大谷大)教授となるが、明治36年(1903)、学監の清沢満之の死去により辞職し、翌年、千葉教院を創立。その後、故郷に帰り三河同朋会を組織し、雑誌『みどりご』を刊行。大正13年(1924)、真宗大谷派伝道院の初代院長に就任。著書に『正信偈本義』など。
《今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子》
(法華経譬喩品第三)
若干の小折れ、ヨゴレあり。