尾崎紅葉
慶応3年(1868)~明治36年(1903)
江戸芝中門前町(浜松町)に生れる。本名、徳太郎。別号に、縁山、半可通人、十千万堂など。明治18年(1885)、東京帝大予備門在学中に、山田美妙らと硯友社を結成し、機関誌『我楽多文庫』を発行する。明治22年(1889)、『二人比丘尼色懺悔』が出世作となり、同年、読売新聞社に入社。以降、同紙に、明治23年(1890)、『伽羅枕』、明治29年(1896)、『多情多恨』を発表、文壇での地位を確立する。明治30年(1897)、『金色夜叉』の連載が『読売新聞』で始まり、大人気作となるが、未完に終わる。門弟に泉鏡花、小栗風葉らがいた。
《おふけなく借家の桜咲きにけり》
おふけなく…身分不相応に
全体に落ち着いた、良い掛け物。