永井尚政
天正15年(1587)~寛文8年(1668)
上総国潤井戸藩主。下総国古河藩2代藩主。山城国淀藩初代藩主。
下総古河藩初代藩主永井直勝の長男として駿河国に生まれる。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに従軍。慶長7年(1602)、徳川秀忠付の小姓となる。慶長10年(1605)、任
官して信濃守を称する。慶長19年(1614)からの「大坂の陣」に参陣。功績を挙げ、御小姓番頭に任じられる。元和5年(1619)、上総潤井戸に1万5000石を所領。元和8年(
1622)、宇都宮城釣天井事件で本多正純が改易された後、老中となる。寛永3年(1626)年、下総古河8万9000石余りを所領。寛永10年(1633)、山城国淀10万石へ転封。八人
衆の重鎮として畿内の幕政に当たる。井上正就、板倉重宗と共に秀忠近侍の三臣といわれた。
東京都新宿区の「信濃町」の名は、信濃守となった当時の下屋敷があったことに由来する
本紙、表具とも経年の傷みあり。自筆書状。