太宰治
明治42年(1909)~昭和23年(1948)
明治42年(1909)6月19日、青森県金木村(五所川原市金木町)に生れる。本名、津島修治。東大仏文科中退。昭和4年(1929)、最初の妻小川初代と知り合う。12月、自殺未遂。翌5年、田辺あつみと心中を図り、あつみは死亡。昭和7年(1932)、官憲の取締により非合法運動から離脱。昭和10年(1935)、自殺未遂。パビナール中毒進行。翌11年、第一創作集『晩年』刊行。翌12年、初代と別居。昭和14年(1939)、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚。その後は旺盛に作品を発表。昭和22年(1947)11月、太田静子、太宰の子を出産。昭和23年6月13日、山崎富栄と玉川上水で入水自殺。二人の亡骸が発見された6月19日を二人の命日として、太宰治の墓のある東京都三鷹市の禅林寺で法要(桜桃忌)が行われる。
竹村坦…竹村書房社主
(月不詳)二十三日 東京府下三鷹町下連雀一一三より
東京市四谷区北伊賀町一二 竹村書房 竹村坦宛
拜啓
先日はまことに有難う存じます。私の不注意から、たいへんお手数をおかけして、相すみませんでした。またその夜は御ちそうに相成り、久しぶりにて楽しく遊ばせていただきました。あの夜はやはり立川まで乗り越しました。けれども上りの電車が一本ありましたので、とにかく家へたどりつく事が出来ました。四谷の酒はアルコール分が強いのか、いつもひどく酔ひます。でもとても楽しかつた、ありがたう存じます。
魚釣の件、龜井君は来月中旬ころまで著者の校正で急がしい様子ですから、延期して、また他日を期したはうがよいと思ひます。
私の校正は、ただいま別封にて前半を全部返送いたしました。著書の題はやはり「老(アルト)ハイデルベルヒ」にしたいと思ひます。
「はしがき」は、原稿お送り下されたら、すぐに書き直して返送いたします。
書き直すべき個所を朱線で指示して下さつたら、更に好都合でございます。
こんどの著書では、いろいろの事もありましたけれど、御苦心の程に御報い出来たら、いいと念じて居ります。
敬具。
太宰 治
二十三日
竹村 坦 様
『決定版 太宰治全集12書簡(P264)』所収。美品。