森鴎外
【翻刻文】
次慶雲堡
岳翁有詩見
贈次韵却
寄
長征萬里歳
初周戦罷暫
留遼水頭候騎
宵深迷野径列
営春静近汀
洲栁侵帷幄
千條裊雲擁
旌旗五色浮時
有天涯俯詔
下無人肯説
故郷愁
【読み下し文】
慶雲堡に次り、岳翁の詩を贈らるる有り、次韵して却寄す
長征万里、歳初めて周る
戦ひ罷みて暫く留まる遼水の頭
候騎宵深くして野径に迷い
列営春静かにして汀洲に近し
柳は帷幄を侵し千條に裊たり
雲は旌旗を擁し五色浮かぶ
時に天涯に有りて詔の下るに俯し
肯へて故郷の愁ひを説く人無し
【現代語訳】
慶雲堡に宿営し、岳父からの詩が贈られて来た。韻を合わせて返礼の詩を送る
万里の彼方に遠征し、年も改まった。
戦闘も暫く止み、遼河のほとりに宿営している
斥候の馬は宵闇の中で野径に迷い
兵舎は静かな春を迎え、中洲のほとりに並び立つ
柳は司令部を囲み千筋の枝を揺らし
雲は軍旗を包み五彩に輝く
故郷を遠く離れた天涯の地で陛下の詔に接し
喜びのあまり望郷の想いを語る者はいない
明治三十八年六月八日付の書簡に 「左の悪詩、若し手がつけらるるならば、直して見てくれ給へ。・・・・」とあります。
つまり、こちらが手が入る前の形、全集の方は友人の訂正が入った形、という事でしょう。
詩の題中、岳翁とあるのは 妻の父、荒木博臣を指します。
【参考資料】
次慶雲堡岳翁有詩見贈次韵却寄
長征萬里歳初周。戦罷暫留遼水頭。候騎宵深迷野径。列営春静近汀洲。栁侵帷幄千條裊。雲擁旌旗五色浮。一捷絶聞優詔至。無人肯説故郷愁。
三四〇 (六月八日 出征第三軍兵站監部附横川徳郎宛 第二軍々醫部より)
左ノ悪詩若シ手ガツケラルルナラバ直シテ見テクレ給ヘ老人デ無聊ニ苦ンデ居ル人ニヤルノダカラ君ガ合格サセテクレタ以上ハヤル積ダ
次慶雲堡岳翁有詩見贈次韵却寄
長征萬里歳初周戦罷暫留遼水頭候騎宵深迷野径列営春静近汀洲栁侵帷幄千條裊雲擁旌旗五色浮一捷絶聞優詔至無人肯説故郷愁 六月八日
〔註〕岳父荒木博臣の詩に次韻し、横川徳郎に正を乞うたのである。
森鴎外全集 書翰編 210頁
本紙、ヤケ、欠損あり。