林羅山
天正11年(1583)~明暦3(1657)
京都四条に生まれる。名、忠または信勝。字、子信。通称、又三郎。慶長12年(1607)、家康の命により剃髪して道春となる。初め建仁寺の僧だったが、儒学を志し、藤原惺窩に入門。、上野忍岡の家塾は、のちの幕府の学問所「昌平黌」となる。徳川家康から家綱まで4代の将軍に侍講として仕え、朱子学を講じ、外交文書、諸法度の草案などに関与し,幕政にも参画した。主著に『本朝通鑑』『羅山文集』など。
【原文】
猶々□□□□府ニ罷在候。
爾来不能拝面候而ハ
存疏闊候之体迷惑仕候。
委曲以参可申述候。已上。
其後久不詣 床下候。仍而
此鷹画賛、自板伊賀殿被成
御頼候間、乍御六□□□□ノ
候而可被遣候。拙子早々致
参扣可申上候処、此中不
得寸隙申候而無音候。背本意候。
近々致伺候候而□□可
申上候。猶大悦和尚可令御
伝語候。恐惶謹言。
四月十九日 道春
不二露大和尚 侍者 道春
【訳文】
猶々□□□□府ニまかりおります。
それより拝顔できず、無沙汰の体で
迷惑しております。
委曲は参上のおりに申し上げます。以上。
その後は久しく参っておりません。さて
この鷹の画賛は板倉伊賀殿よりのお頼みで
□□□□で遣わします。わたしも早々
参上すべきところ、このところ寸暇を得ず、
ご無沙汰しておりますのは本意でありません。
近々うかがいまして申し上げたいと存じます。
なお大悦和尚も御伝言申します。恐惶謹言。
四月十九日 道春
不二露大和尚 侍者 道春