大島蓼太
享保3年(1718)~天明7年(1787)
信濃国伊那郡大島(現在の長野県下伊那郡松川町元大島)の人。本名は吉川陽喬。通称は平助、平八。別号は雪中庵、老鶯巣、空摩など。服部嵐雪門である雪中庵二世吏登(桜井吏登)に師事し、のち三世となる。其角系の江戸座に対抗し、一大勢力を築く。著に「雪おろし」「芭蕉句解」「蓼太句集」など。
山田鶴洲
延享2年(1745)~享和3年(1803)
美濃の人。字は登穀。通称は治右衛門。長崎の黄檗鶴亭の高弟として「善農」の名を受け継ぐ。弟子を多く持ち、美濃地方に南蘋派の画風を伝えた。
本紙に多少傷み有り。