正岡子規 内藤鳴雪 阪本四方太
Masaoka Shiki / Naito Meisetsu / Sakamoto Shihouda
- 作家名
- 正岡子規 内藤鳴雪 阪本四方太 まさおか しき/ないとう めいせつ/さかもと しほうだ
- 作品名
- 病床図画賛
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本水墨 緞子裂 象牙軸 寒川鼠骨鑑定書 合箱
本紙寸法 36.6x25.7
全体寸法(胴幅)49.7x126cm - 註釈
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寒川鼠骨
明治8年(1875)~昭和29年(1954)愛媛県松山市三番町に生まれる。本名、陽光。碧梧桐や虚子との交流から子規に師事し、「人間は最も少ない報酬で最も多く働くほどエライ人ぞな。一の報酬で十の働きをする人 は百の報酬で百の働きをする人よりエライのぞな。」と子規の勧めで日本新聞記者となる。子規没後は根岸の子規庵保存に生涯を捧げた。
※『俳人の書画美術』(集英社)解説文より
明治三十二年頃の作か。ほぼ同種の内容の画と同じ賛のものが遺っている。病床に筆をとる子規の写生の画に
湯たんぽに足のとゞかぬふとん哉 方
画箋紙に鼻水にじみ寒かな 鳴雪
の賛がある。同年冬十二月初旬に病室の南手にガラス戸が入り、暖炉が設けられ暖かい冬を過ごすことが出来た年のことである。
なお、本格的なストーブ(暖炉) は、明治三十三年十一月に設置されている。『俳人の書画美術』の解説にあるように、同書所収の「病床図画賛」と同種の作品で、子規が自身の病床姿を描いた貴重な作品(自画像)である。