真慧上人
永享6年(1434)~ 永正9年(1512)
真宗高田派10世。下野国高田(現在の栃木県芳賀郡二宮町高田)専修寺の定顕の子(一説に弟)。長禄3年(1459)、加賀、越前、近江、伊勢など巡錫、親鸞の教義を布教。文明4年(1472)、『顕正流義鈔』を撰述し、蓮如上人と対立。明応元年(1492)頃高田専修寺を別院とし、伊勢国一身田(現在の三重県津市)に無量寿院(現在の本山専修寺)を建立、高田派教団の勢力を拡大した。真宗高田派中興の祖といわれる。
本紙、ウブなり、経年のヤケ、折れあり。