三宅樅臺
文化13年(1816)~明治29年(1896)
美濃上有知村(現在の美濃市)に生まれる。本姓は小坂。名は守観。字は海岳。加納の旧族三宅氏に入婿。初め村瀬藤城に学び、次いで佐藤一斎や斉藤拙堂に学ぶ。加納藩に仕えた儒者。
【原文】
群牧蹌々朝上都
野人依旧酌屠蘇
酔来強学城中事
買得財船一幅図
都門歳首 樅臺
【訓読】
群牧、蹌々として朝都に上る
野人、旧に依りて屠蘇を酌む
酔い来りて強ちに城中の事を学ぶ
買い得たり、財船一幅の図
都門の歳首 樅臺
【訳文】
多くの諸侯が、うやうやしく朝から都にのぼってくる。
町の庶民である自分は、例年のごとく屠蘇を飲む。
酔って来ると、ふるって市中の様子を見歩く。
すると、宝舟の掛け軸を買うことができたよ。
都の年始 樅臺
まずまず美品。