曾我蕭白
享保15年(1730)~ 天明元年(1781)
姓は三浦。近年の研究では、京都の丹波屋あるいは丹後屋と呼ばれる商家の出身とされる。幼少期の詳細は不確かであるが、近江国(現在の滋賀県)の高田敬輔に学び、後に曾我派の祖、曾我蛇足を慕って、自ら「蛇足十世」と名乗った。20代から30代にかけ伊勢および播州(兵庫県近辺)に数度遊歴し、伊勢では朝田寺、旧永島家などに多くの障屛画を残す。長らく忘れられた絵師だったが、辻惟雄の『奇想の系譜』などの研究により、近年の再評価は著しい。
『【第二部】その後の蕭白と周辺』(三重県立美術館)図録所収。
経年の傷みあり。