伊藤証心
明治9年(1876)~昭和38年(1963)
三重県員弁郡久米村坂井(桑名市坂井)に浄土真宗篤信の農家の長男として生まれる。幼名清九郎。明治22年(1889)13歳、真宗大谷派円授寺で得度。名を証信と改める。明治29年(1896)20歳、真宗大学に入学、清沢満之に学ぶ。明治38年(1905)29 歳、真宗大学を退学し僧籍を返上。東京巣鴨村大日堂(豊島区西巣鴨)に無我苑を開き、機関紙『無我の愛』を創刊、我愛の生活を捨て、無条件に人を愛する「無我愛運動」を始める。同年、河上肇が仕事一切を辞して入苑。運動は徳冨蘆花、幸徳秋水、堺利彦、綱島梁川らに影響を与えた。明治39年、いったん無我苑を閉鎖するが、大正10年(1921)45歳、東京中野に「無我苑」を再開。大正14年49歳、西三河の農村青年で結成された竜灯団に招かれて三河西端(現在の碧南市)に移住。仮寓を「竜灯窟」と名付け、《無我愛》の思想を深めるなか、農業に従事し、地元青年にカントの『純粋理性批判』を教授したり、ドイツ語を教えるなどする。昭和9年(1934)58歳、浄財により木造2階建の「無我苑」落成。「無我苑」は現在、碧南市がその跡地を証信の遺族から寄贈され、「碧南市哲学たいけん村無我苑(名誉村長梅原猛)」となっている。
美品です。