荻生徂徠
寛文6年(1666)~享保13年(1728)
徳川綱吉の侍医荻生方庵の次男として江戸に生まれる。名、双松(なべまつ)、字、茂卿。通称、は惣右衛門。父の蟄居により25歳まで上総国(現在の千葉県中部)で過ごす。元禄9年(1696)、柳沢吉保に出仕。将軍綱吉の待講義を務め、儒学で求める道とは天下を治める政治の道であるとし、客観的な秩序を重視する政治論に重きを置き、赤穂浪士処断の際、法にのっとり厳罰に処すべきと綱吉に献言する。朱子学や伊藤仁斎を批判し、四書五経の正確な読解のための古代語重視の立場に立った古文辞学を大成する。弟子に太宰春台、服部南郭等がいる。著作に『訳文筌蹄』『論語徴』『弁道』『弁名』など。
【翻刻文】
先比者為御祝義過分
存候。其節可致面談存候所、
早御帰、不能其儀、残念存候。
今以残暑甚敷候得共、愈
御家内不残御息災之由、
悦入存候。此方無別条
罷有候。
一、金八事、此度立帰在所へ参
度由申候故、差遣シ申候。承候へ者、
親本より金子つづけ少く
候故、金高ましもらひ度、
此段親本へ願ニ参候由之
様ニ承之候。さんざん至極之
儀と存候。何程願候半、金多く
つかわせ候事、御無用と存候。
是迄壱ヶ月ニ金弐分ツヽ合
力有之候由承候。弥左様ニ而や、
壱ヶ月ニ弐分ハ過申候。壱分歟、
弐朱ニ而能御座候。金八事たはこ
酒給不申候。筆・墨・紙・草履・花帋
抔、入用之程しれ申候事ニ候。弐分ハ
入不申候事ニ候。然ル所、其上を又
ねだり申候事、悪敷くせ付申候と
相見へ申候。江戸ニ久敷居候而、人柄
悪敷成申候事ハ、金をつかひ候事を
覚へ申候ニて、さんざん悪敷成申候事ニ
御座候。たとひ博奕傾城くるひなと
不致候而も、金をつかひ候事を
このミ申候へハ、さんざんなるものニ
成申候事ニ候。此段とくと親本へ
御申候而、金子多く合力いたし
申候事ハ無用ニいたさせ可然
存候。若此段承引無之、
金高まし候而合力候ハヽ、我等
方ニハ指置申候事不罷成候。此段
きつと親本へ御申可被成候。貴殿
御頼之者ニ候間、慈悲を存候而
此段申遣候事ニ御座候。
一、書物抔調不申候而不叶事御座候ハヽ、
三十郎方より貴殿迄、其段申
遣て、三十郎書状を証拠ニ金子
を差越候様ニ可被成候。書物ニ入候由
金八方より申遣候共、金子御差
遣候事、必々不入物と存候。此段
得御意度如此候。不備。
七月廿日
石野長右衛門殿
【現代語訳】
さきごろは過分なる御祝儀を頂戴しました。そのおり面談させていただきたく存じましたが、早々のお帰りで、そのことに及ばず、残念に存じました。いまだ残暑はなはだしいですが、いよいよ御家内みなさま御息災とのこと、喜ばしく存じます。こちらも別段変わったことはございません。
一、金八の事ですが、このたび在所へ立ち返りたいと申しますので許しました。なんでも親もとからの仕送りが少ないので、額を増やしてもらうためだと申しております。とんでもないことです。たとえどれだけ頼んでも、金額を増やすことはご無用に願います。これまでひと月に金二分ずつ仕送りとうかがいましたが、ひと月に二分は多すぎます。一分か二朱で十分です。金八は煙草や酒はやりませんので、筆墨や紙、そして草履や花紙などはたかがしれております。二分も入るものではありません。それを更にねだるというのは、悪いくせがついたものと見受けられます。
江戸に長く滞在して、人間が悪くなるというのは、金を使うことを覚えて、さんざんに悪くなることなのです。たとえ、博打や遊女遊びをしなくても、金を使うことを覚えてしまっては、さんざんな人間になってしまいます。このことをとくと親もとへおっしゃっていただいて、仕送りを増やすことのないようお願いいたします。
もしこの点、御承知いただけず、仕送りを増額するならば、わたくしどもの方に置いておくことはできません。このことを必ず親もとへお伝えください。あなた様のお頼みの者ですので、かわいそうに思い、このことを申し上げるのです。
一、書物などが手に入らず、なんともならないということであれば、三十郎の方からあなた様へそのことを申し伝えて、三十郎の手紙を証拠として、お金を送るようにしたらよいでしょう。書物を買うのに使うのだなどと金八の方から言ってきたとしても、お金を送ることはくれぐれも御無用に願います。このことを御納得いただきたく一筆したためました。不備
七月廿日
石野長右衛門殿
本紙、多少傷みあり。