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新規掲載品
P-031 森田草平

P-031 森田草平Morita Souhei

 森田草平 1
 森田草平 2
作家名
P-031 森田草平もりた そうへい
作品名
信仰瑣言(原稿)
価格
150,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本 紙裂 合箱
本紙寸法33.2x59.5
全体寸法(胴幅)37x125㎝
作家略歴

森田草平
明治14年(1881) ~昭和24年(1949)

方県郡鷺山村(岐阜市鷺山)に生まれる。本名、米松。明治28年、岐阜市高等小学校(京町小学校)卒業。明治32年、第四高等学校(金択大学)に入学するが、郷里の恋人つねとの同棲が発覚したため論旨退学となる。明治36年、東京帝国大学英文科に入学。明治38年、夏目漱石を訪ねて師事する。明治39年、同学卒業。明治42年、平塚らいてうとの心中未遂事件を題材にした『煤煙』を朝日新聞に連載を開始する。大正9年、法政大学英文科教授。大正12年、自伝的小説『輪廻』を『女性』に連載。その後は『吉良家の人々』『細川ガラシヤ夫人』などの歴史小説を著す一方でイプセン、ドストエフスキー、セルバンテス、ダヌンツィオ、ボッカチオなどの翻訳を手がける。昭和23年、日本共産党に入党、随筆集「私の共産主義」を出版する。安倍能成、小宮豊隆、鈴木三重吉と共に漱石門下四天王に数えられた。昭和24年に没。

コンディション他

信仰瑣言
森田草平
 神や佛を信じて居る人を、不信者の眼から見ると、如何してあゝだらうと不思議なような気がする。併し信仰を獲て居る人の眼からわれわれを見たら、矢張如何してあんな風で生きて居られるだらうと、不思議に思はれることゝ思ふ。
 われわれにも神を信じたいと思ふジヤームは有る。信仰なくして生きて居るのは不安で有る。不安が有るのは恵心信仰を求めて居ると言はなければ成らぬ。併し此不安は本当に自我の奥底から出て来るもので有らうか。それとも我々の先祖がわれわれに残した遺傳の滓ではなからうか。若し後者だとすれば――
 人類の歴史に於て、神とか佛とか云ふものを発明した男程憎むべき奴はいない。そんな物を発明したために、人生の幸福が何の位奪はれたかと云ふことを考へて見よ、逆さ磔刑にしても飽足らぬではないか。
 罪悪は口に甘いもので有る。罪悪の中に生きるのは気楽でもあれば愉快でもある。実際又凡ての人は皆罪悪の中に生きて居る。それを知つて居る。或は知つて居ながら隠して居る。或は又全然知らずに居るなどの別はあるが――
 それと知りながら、罪悪に生きて居る人間程憫れむべき者はなからう。彼はそれを知るが故に、一層堕落の淵に沈むので有る。神を求め、佛に憧れる心のいよいよ切なるがために、いよいよ佛に遠ざかるのである、罪悪に罪悪を重ぬるので有る。
 かゝる男は地獄に落ちるで有らうか。假令地獄に落とされても、尚且つ地獄の釜の中から、神の名を喚び、佛の名を唱へるので有る。彼は最後の最後迄神を愛し佛に憧れて居るので有る。
 併しこんな男に向つて、お前は向後如何したら可いか。なぞと云ふことを教へるのは、無駄な話で有る。如何したら可いかと云ふことは、彼は自分で知つて居るからで有る。知つて居ながら為ない――或は為得ないばかりだからで有る。
 彼は一日夜深けて遊里から帰つた。よぼよぼ爺さんの人力車に乗つて居た。ある坂道にかゝつて、爺さんがよぼよぼしながら車を引上げやうと喘るのを見て、彼は急に車上から飛び降りた。そして、突然爺さんの手を握
つて、涙を流しながら「爺(とつ)さん、宥して呉れ、俺が悪かつたから勘弁して呉れ」と言つ泣いた。爺さんは面喰らいながら、相手が酒に酔払つて居ると察したので、「いえ、私や何も貴方を宥すやうな事は有ません」と、もぢもぢしながら言つた。
「いゝや、お前はなからうが、凡ての人類に代つて宥して呉れるんだよ、勘弁して呉れよ。」
 彼は強情に言ひ張つて、又めそめそと泣いた。此場合老車夫は彼にとつて、神でも有り、又佛でも有つたのである。(をはり。)

本紙に小折れ。