田崎草雲
文化12年(1815)~明治31年(1898)
江戸神田小川町足利藩邸内に生まれる。名、芸。諱、明義。字、崇徳。通称、恒太郎。幼年より親戚の金井烏洲に画を習い、20歳のときに藩士を辞し谷文晁に入門する。嘉永6年(1853)、足利藩の御用絵師となる。幕末期は、練武館の建設、誠心隊を組織し国事に奔走した。明治11年(1878)、蓮岱寺山(現足利公園内)に白石山房を建てる。明治23年(1890)、帝室技芸員となる。
小室翠雲
明治7年(1874)~昭和20年(1945)
群馬県館林市(現在の本町1丁目)に生まれる。本名、貞次郎。始め、田崎草雲に師事する。大正10年、矢野橋村らと日本南画院を創立。大正13年、帝国美術院会員。昭和19年、帝室技芸員。日本南画壇の重鎮。
明治12年(1879)の作品、全体に多少ヤケあり。