吉川弘道
天保8年(1837)~大正7年(1918)
名古屋の人。父君溪に狩野派の画法を学ぶ。撒金(ふりきん)技法に長け、金撒弘道と呼称された。
【原文】 奇観施幕日群呼 電目斑衣争作図 猛虎一声山欲裂 君看籠養殆狸奴 虎来在去年也。文久三年癸亥春正月 太乙老人題
【訳文】 珍しい光景は幕を張って毎日群衆を呼び込む。 虎の目は電光のように、毛皮は斑で、争って画く。 猛虎がひとたび咆哮すれば山も裂けてしまう。 しかし檻の中に入れておけば狸と変わらないよ。 虎は去年やってきた。文久三年癸亥(一八六三)春正月
太乙老人題す。年紀より文久2年(1862)秋に弘道が虎の画を描き、文久3年(1863)正月に太乙が賛をしたことがわかる。
本紙、若干ヨゴレあり。