仙波太郎
安政2年(1855)~昭和4年(1929)
伊予国温泉郡久米村(現在の愛媛県松山市福音寺町)に生まれる。少年時代は行商などをしながら南久米村の三輪田塾で学び、また福沢諭吉の著書を読む。伊予の二宮金次郎と呼ばれるほど苦学する。同郷の秋山好古とともに陸軍大学校の1期生となり、日清戦争では参謀として活躍。明治43年(1910)、陸軍中将に昇進。桂太郎、宇都宮太郎と共に「陸軍の三太郎」と称される。大正3年(1914)、名古屋の第3師団長などを経て、退役後は妻の出身地である岐阜県稲葉郡加納町(岐阜市加納朝日町)に移住し、地元青年団や婦人会などの活動を支援。大正9年(1920)、第14回衆議院議員総選挙で岐阜3区から出馬して当選した。
本紙に小シミ、小折れあり。