山田訥斎
文化11年(1814)~明治6年(1873)
美濃国羽栗郡笠松(岐阜県笠松町)に薬種商山田国春の子として生まれる。始め笠松の広瀬春樵に学ぶが、後に山本梅逸に入門し高弟となる。勤王家でもあり、梁川星巌、頼三樹らと親交があった。文人画家。
岩越雪峰
明治2年(1869)~昭和24年(1949)
槍の達人といわれた大垣藩士脇水貴一の次男。名、瑛。字、子修。号、聴雪。 兄は地質学の権威、脇水鉄五郎。初め画家を志し、京都画学校から洋画家原田直次郎の画塾鐘美館に学ぶが、脚気を患い故郷。大垣中学に奉職する。明治28年、岐阜県羽島郡笠松町長池の岩越家の養子となるが、大垣に定住する。書を独学で研鑽し、空海、王義之を研究、泰東書道院の審査員となる。また、貫名海屋を慕い、その研究蒐集をした。鑑定の権威としても知られる。
清らかな良い掛け物です。